社長メッセージ
2023年、猛威を振るってきたコロナウイルス感染症も、5月8日には季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられました。振り返ると、2020年1月に、日本国内で新型コロナウイルス感染症の感染拡大が始まってから3年以上が経過しました。ウィズコロナの考え方の下、ワクチン接種など経済社会活動の正常化に向けた取り組みが進み、国が発出する「蔓延防止等重点措置」も、昨年3月で最後となり、10月には入国者数の上限が撤廃されて、外国人旅行客の入国も解禁になり、本当に嬉しいことに、現在では、浅草をはじめとした観光地の賑わいが、「オーバーツーリズム」の対応に追われるほどになっています。
しかしながら、長期化したコロナ禍によって、革靴業界の製造と流通の基盤は大きく損なわれてしまいました。また、昨年2月から始まったロシアのウクライナ侵攻により、原材料価格の高騰に伴う世界的な物価上昇という新たな試練も作り出しました。そして、「第1の『まさか』がコロナ」で、「第2の『まさか』がウクライナ侵攻」とすると、今、「第3の『まさか』として、Chat GPT-4をはじめとするAI」が世界を変えようとしています。ここで、改めて「人間の価値」を見つめ直すと同時に、大きな環境変化に対応する「新しいビジネスモデル」を創造することによってのみ、今後の企業、そしてあらゆる産業の存続が可能になるだろうと感じています。
そのような中、パイロットシューズにおいても、すべての女性がそれぞれのかけがえのない個性を輝かせ、心の豊かさと身体の健康につなげていただけることを願って、革靴先進国イタリアでもなし得ない、日本ならではの「お・も・て・な・し」を取り入れながら、マス・カスタマイズシステムを活用したWisteria Fujiwaraをご提供させていただいています。そして、アフターコロナ元年の2023年、Made in JAPANの新しい革靴製造小売業のビジネスモデルとして、世界に向けて発信してゆく準備を整えたいと願います。
同時に、一企業の力だけで、新しい時代が必要とする知識を吸収し、グローバルな競争の中で必要な企業となってゆくことは、到底、出来ないと考えています。コロナによって絆が切れ、つながりの大切さを再認識した今だからこそ、これまで組合で進めてきた様々な事業を活用し、全体で築き上げてきた製靴技術や販売管理システム、そして響働力を最大限に生かしながら、浅草の靴産業活性に向かってゆきたいと思います。
パイロットシューズ株式会社 代表取締役
藤 原 仁
会社概要
社名 | パイロットシューズ株式会社 PILOT SHOES Co., Ltd. |
本社 | 〒 111-0025 東京都台東区東浅草 2-22-5 |
本社工場 | 〒 111-0023 東京都台東区橋場 2-4-2 3F(郵送先) TEL 03-3874-8121 FAX 03-3874-8126 |
info@pilotshoes.co.jp | |
URL | www.pilotshoes.co.jp |
創立 | 1950年6月 |
設立 | 1975年2月 |
資本金 | 2,000 万円 |
パイロットシューズの歴史
1950 年(昭和 25 年) | 靴作りの本場、東京浅草にて「さくら製靴」として、藤原勉が創業 |
1953 年(昭和 28 年) | 「藤原勉商店」を経て、社名を「パイロットシューズ」に変更 |
1981 年(昭和 56 年) | 藤原富子社長就任 |
2002 年(平成 14 年) | 藤原仁社長就任 |
藤原 勉(初代)
1907年(明治40年) 12月28日、岡山県玉野市田井生まれ
船乗りとして大海原を踏破し、数々の逸話を残している。
昭和21年に富子と結婚後、昭和24年夏に単身上京し、浅草で「さくら製靴」を創業
船乗りから靴づくりへ、という珍しい転身だった。
後に、船乗りだったことにちなんで社名を「パイロットシューズ」と命名し、靴業界の古い慣習にとらわれず、数々の新たな仕組みを導入した。職人制で不安定な生産体制にある業界の中にあって、当時では珍しかった給料制を取り入れたり、社員寮も作って従業員が安心して働ける会社環境を作るなどして、まさに「水先案内人」としての働きを成していた。船乗り時代、何度も遭難に遭いながら、たくましく生き延びたそのエネルギッシュなパワーで、事業も順調に成長させて行った。しかし 昭和51年、突如、多発生骨髄腫に罹り、5年間の闘病生活の後、昭和56年1月15日他界した。浅草の靴産業の発展に大きく貢献し、道なきところに道を切り開く、まさに砕氷船のような人生だった。
藤原富子(二代目)
1926年(大正15年) 8月1日、岡山県児島郡生まれ
昭和21年、21歳で40歳の勉と結婚。昭和24年冬に上京し、勉のもとで居を構える。以後、三女一男を授かり、子育てと会社の操業に力を注いだ。
昭和56年、社長であり夫の勉が他界後、パイロットシューズの社長を継承し、同時に、勉が地域で担っていた役割も引き継ぎ、会社経営と地元浅草への地域貢献、そして母としての役割をこなしていった。
2002年(平成14年) 社長退任、長男 仁に譲る。
2012年(平成24年) 10月7日他界
藤原 仁(三代目)
1961年(昭和36年) 6月6日 | 東京都台東区生まれ |
1983年(昭和58年) 5月 | 米国ヴァーモント州セントマイケルズカレッジ卒業後、欧州視察を経て、同年 12 月に帰国 |
1984年(昭和59年) 1月 | パイロットシューズ入社 |
2002年(平成14年) 5月 | 三代目社長に就任 |
2012年(平成24年) 2月 | 東都製靴工業協同組合 第 17 代理事長に就任 |
2014年(平成26年) 6月 | 一般社団法人 日本皮革産業連合会 副会長に就任 |
2016年(平成28年) 5月 | 全日本革靴工業協同組合連合会 会長に就任 |
2020年(令和2年) 6月 | 一般社団法人 日本皮革産業連合会 会長に就任 |